ガメラ映画の自衛隊は強い!? 樋口真嗣監督×カズレーザー、必見の「特撮」サシトーク!【X年後の関係者たち】
BS-TBSで毎週火曜よる11時から、カズレーザーさんのMCでお送りしている「X年後の関係者たち~あのムーブメントの舞台裏~」。
6月13日(火)放送回は「樋口真嗣と日本特撮」編。
「平成ガメラ」「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」など数々の特撮作品を手がけた樋口真嗣監督をスタジオにお迎えし、カズレーザーさんと1対1で「特撮」について語っていただく特別編です。
特撮ファンにはたまらない裏側トークが連発!
番組宣伝担当の大沼知央から見どころをお伝えします!
特撮が生まれたのは〇〇がなかったから!?
私自身、ガッツリと特撮作品に触れてきてはいなかったので、この機会に、平成ガメラシリーズの1作目「ガメラ 大怪獣空中決戦」を見てみたのですが…すごく見入ってしまいました。
今見てもガメラの姿に迫力があるし、次第に愛着すら湧いてしまう感じなのです。
いわゆる「CG」とも一味違う「特撮」の真髄・魅力とは何なのでしょう?
番組では、これまでの特撮の歴史も紐解いていきます。
そもそも「特撮」とは…
この世に存在しないものをいるように見せる映像や、普通の撮影法では得られない映像を作り出す撮影技法のこと。
日本では怪獣映画などに用いられ、着ぐるみやミニチュアを用いて独自に進化を遂げてきました。
日本の特撮のはじまりと言われて、多くの人の頭に浮かぶのは「ゴジラ」(1954年)でしょうか。
でも実はそれより前、戦時中につくられた戦争映画で、“特撮の神様”円谷英二さんが特撮を始めていたそうなのです。
その理由が「時間を短縮するため」。
例えば、真珠湾攻撃などの出来事が起こった際、ゆっくり作っていたらその宣伝にならないから、なるべく早く完成させたい。
でも小さな人形などを一コマ一コマ動かすコマ撮りをしていたら、ものすごい時間がかかってしまう。
それで“特撮”をやり始めたというのです。
樋口監督は「短い時間で最大限の効果を発揮するのが日本特撮の特徴」と言います。
“特撮の神様”円谷英二のスゴさとは?
樋口監督が生まれた翌年の1966年、「ウルトラマン」が放送開始。
最高視聴率42.8%を記録し、国民的作品となりました。
子ども時代の樋口監督も当たり前のように夢中になり、怪獣やウルトラマンの詳細データが載った「ウルトラ図鑑」の内容を覚えたといいます。
そしてウルトラマンの生みの親は、さきほども出た“特撮の神様”円谷英二さん。
樋口監督から見た円谷さんのスゴさは、「先見性」だと言います。
1950年代後半に最盛期を迎えて“娯楽の王様”だった日本の映画は、テレビの普及の影響を受け1960年代には急速に落ち込んでしまいます。
円谷さんは、最盛期でウハウハだった頃から「いずれ映画は衰える、これからはテレビだ」と言い、3人の息子をテレビ局に送り込んだというのです。
「一つの作品に集中するミクロな視点」と「業界全体を見るマクロな視点」どちらも持っていたことに、カズレーザーさんも驚嘆!
樋口監督が特撮界に入ったきっかけ、盟友・庵野秀明氏との出会い
樋口監督が特撮界に入ったのは、たまたま親戚にいた映画関係者を頼り、特撮の撮影現場を見に行ったのがきっかけだといいます。
最初はただの見学者でしたが、ちょっとずつ作業を手伝うようになったのだとか。
最初に関わった作品はなんと、9年ぶりのゴジラ新シリーズとなった「ゴジラ」(1984年)。
美術の鉛筆削り係や、ゴジラの着ぐるみの着せかえ係などが担当だったそうです。
美術の親方が「これがないと俺は線を引けない」と言って朝から焼酎を飲むとか…昔ながらの現場エピソードも飛び出します。
そんな下積み時代を過ごすなか、樋口監督は、その後“盟友”となる庵野秀明監督との出会いを果たします。
当時、大阪で自主映画をつくっていた庵野監督。
その自主映画の上映会が東京で行われた際、出会った2人。
もともと自主映画の出来の良さを感じていた樋口監督は、新作を手伝ってほしいという庵野監督の誘いを受けて一緒に作品づくりをしていくことに。
お互い貧乏だったため、青春18きっぷで一緒に大阪に向かったとか。
若いときから作品づくりの現場を共にしていたなんて…なんか“運命”を感じるエピソードですね。
平成ガメラシリーズ制作秘話…自衛隊が活躍したワケとは?
その後、90年代に入り、映画の特技監督を務めるようになる樋口監督。
ただ90年代前半は、特撮は日本の映画界では主流ではなく“端っこ”だったといいます。
「特撮で何ができるの?」という空気の中、樋口監督は特撮の活路を見出し、厳しかった現場のカメラマンやスタッフにも認められるようになるのですが…
どう活路を見出していったのか、詳しくはぜひ番組をご覧ください!
そして、樋口監督が特技監督を務め、1995~1999年にかけて公開された名作シリーズが「平成ガメラ」3部作。
ガメラと怪獣たちの迫力の戦闘シーンが話題となりました。
樋口監督によると、時間がかかって当初のスケジュールどおりでは間に合わず、2班体制にして寝る間を惜しんで撮影したそうです。
もともと「時間を短縮するため」の特撮は、どこから撮っても画になるミニチュアを作り、同じセットで何カットも撮る方式。
でも樋口監督は、撮りたいカットに対して必要なものやセットを一つ一つ用意していたので、使いまわしが効かなかったそう。
時間をかけてでも良い画を撮ろうというこだわりが、名作を生んだのですね。
また、ガメラとゴジラの違いとして「ガメラは自衛隊のミサイルでダメージを受ける」「ゴジラに比べてガメラ映画は自衛隊が強い」と指摘するカズレーザーさん。
実は当時、自衛隊が活躍するシーンがないと自衛隊の協力が得られなかった、という背景があったのだとか。
さらに樋口監督は、お子さんに「お父さんは負けてばかり…」と言われる自衛官もいると聞き、子どもたちのためにも「なんとかしなければ」と思ったそうです。
番組ではその他にも、「ガメラ3」でラストバトルのシーンが京都駅の中になったワケなど、様々な秘話を聞くことができましたので、お楽しみに!
特撮の未来 ~特撮でしかできないことはある~
樋口監督は、特撮だけではなく、CG・アニメ・実写と様々な映像表現の場を経験されてきています。
そんな樋口監督が語る、特撮の「未来」とは?
今はCGのクオリティーも上がり、必ずしも高額な費用をかけなくてもCGで完成度の高い映像をつくれてしまう時代。
それでも樋口監督は言います。
「特撮でしかできないことは沢山ある」
CGは予想通りのものしかできない。
本物に見えないんじゃないかと「疑い」を持ってしまう。
でも特撮は、想定より良い画が撮れることがある。
どこかで本物だと「信じられる」瞬間が表れる。
と、樋口監督は語ります。
きっと特撮・CG、どちらにも強みや良さがあって、樋口監督は様々に使い分けながら作品作りをしてきたからこそ、特撮ならではの“本物”を感じていらっしゃるのかもしれませんね。
番組では、樋口監督が思いついたアイデアやイメージを書くために持ち歩いているメモ帳も見せていただくことができました。
最後に、そのメモ帳の中からカッコよすぎる言葉をご紹介!
X年後の関係者たち、「樋口真嗣と日本特撮」は6月13日(火)よる11時から!
ぜひご覧ください!
書いた人:大沼知央(BS-TBS「X年後の関係者たち」宣伝担当)
■「X年後の関係者たち~あのムーブメントの舞台裏~」
毎週火曜よる11:00~11:54 放送中です。
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